マネジメント事業
1972.11.28 / 静岡県
名波 浩
Hiroshi Nanami
清水商業高校→順天堂大学→95年ジュビロ磐田に入団。開幕戦でスタメンに抜擢され以降レギュラー(MF)として活躍。同年日本代表に選出され、代表デビュー戦で得点。日本代表に定着し67試合に出場、98年フランスW杯では10番を背負う。99年にセリエAのACヴェネチアでもプレーし、08年に現役引退。2014年9月-2019年6月ジュビロ磐田、2021年6月-2022年11月松本山雅の監督、2023年-日本代表コーチを務める。
1981.7.8 / 静岡県
鈴木 啓太
Keita Suzuki
小学校時代は全国準優勝。中学校時代は全国優勝を成し遂げ、東海大翔洋高校へ進学。00年浦和レッズに入団し、レギュラー(MF)を勝ち取ると15年シーズンの引退まで浦和レッズにとって欠かせない選手として活躍。06年にはオシム監督の下、日本代表に選出され初戦でスタメン出場。以後、オシムジャパンとしては、唯一全試合先発出場を果たす。
現在はAuB株式会社を立ち上げ「すべての人を、ベストコンディションに。」というミッションのもと、”腸活”に関わる腸内細菌の研究を行っている。
1987.7.15 / 東京都
田中 順也
Junya Tanaka
順天堂大4年時に特別指定選手として柏レイソルでプレー。翌2010年、柏入り。同年のJ2優勝、翌年のJ1優勝に貢献した。2011年には日本代表にも選出され、2012年2月のアイスランド戦で代表デビューを飾る(国際Aマッチ出場4試合)。
2014年夏、ポルトガルのスポルティングCPに移籍。2016年、期限付き移籍で古巣の柏に復帰し、2017年にヴィッセル神戸に完全移籍。2021年からはJ3のFC岐阜でプレー。2023年シーズンを最後に現役引退。Jリーグ通算300試合、65得点。
2024年、FC岐阜のクラブアンバサダーに就任し、同クラブのアカデミーコーチとしても活動。
1973.7.9 / 静岡県
望月 重良
Shigeyoshi Mochizuki
清水商業高校→筑波大と名門校を経て、96年名古屋グランパスに入団。1年目からレギュラーを獲得し、以後、攻撃的MFやボランチ、右サイドアタッカーとポジションを変えながら、チームの核として活躍。97年に日本代表に初選出され、00年のAFCアジアカップ優勝に貢献し、14試合のキャップ数を誇る。08年にはSC相模原を創設。
1969.9.6 / 島根県
小村 徳男
Norio Omura
松江南高校→順天堂大学→92年横浜マリノスに入団。現役時代は1対1と空中戦に強い屈強なDFとして活躍。ベガルタ仙台、サンフレッチェ広島、横浜FCでプレーして07年に現役を引退。日本代表としても98年のフランスW杯に出場し、日本代表通算30試合4得点。Jリーグ通算396試合30得点の実績を持ち、14年にはガイナーレ鳥取の監督を務めた。
1984.5.31 / 静岡県
成岡 翔
Sho Naruoka
藤枝東高校3年のときU-15日本代表に選出され、そのまま代表に定着。01年にはトリニダードトバゴで開催されたU-17世界選手権に出場。03年ジュビロ磐田に入団し、1年目からリーグ戦にMFとして出場。同年10月ユース代表のU-20アジア選手権では全6試合をプレー。アビスパ福岡、アルビレックス新潟を経て、最後は地元藤枝MYFCにてプレーし、19年に現役引退。
現在はサッカースクールSKYのコーチを務め、子供達の指導にあたっている。
1973.6.23 / 三重県
中西 永輔
四日市中央工業高校時代に小倉隆史らとともに「四中工三羽ガラス」と呼ばれ、全国高校サッカー選手権大会で優勝。卒業後は、ジェフユナイデット市原(現ジェフユナイデット千葉)に加入し、12年間チームの中心選手として活躍。2004年には横浜F・マリノスに移籍し、チームのリーグ優勝に貢献。Jリーグ通算309試合34得点。
日本代表としても1998年日本が初めて出場したワールドカップフランス大会では2試合スタメンで出場するなど通算14試合に出場。
2006シーズンで引退。引退後はメディア活動や子供達にサッカーの普及・育成活動を行う。
Eisuke Nakanishi
1976.10.4 / 群馬県
清水 範久
Norihisa Shimizu
前橋商業高校を卒業後、95年ジュビロ磐田に名波浩・福西崇史らとともに入団。97年のチャンピオンシップで決勝Vゴールを挙げるなど、チームには欠かせないユーティリティープレーヤーとして活躍。02年に横浜マリノスへ移籍し、長い間主力として活躍。その後、アビスパ福岡に移籍し、11年に現役引退。12年にタイへ渡り、指導者への道を歩む。
現在は解説業と合わせてFC.SKYジュニアユースの監督を務める。
1983.2.19 / 静岡県
小林 大悟
Daigo Kobayashi
清水商業高校卒業後、東京ヴェルディ1969(現東京ヴェルディ)に入団。入団翌年からレギュラーを獲得。2004年には天皇杯優勝に貢献。Jリーグ通算223試合、18得点。2006年には日本代表にも選出される。
その後、2009年デンマーク、2010年ギリシャ、2013年からはメジャーリーグサッカーと世界に活躍の舞台を移し、活躍。2022年に引退後は子供達にサッカーの普及・育成活動を行う。
1973.9.23 / 静岡県
服部 年宏
Toshihiro Hattori
東海大一高→東海大→94年ジュビロ磐田に入団。ジュビロ磐田の黄金期を支えた中心選手(MF)。日本代表としても96年アトランタオリンピック(U-23)、98年フランス・02年日本/韓国のワールドカップなどに出場。東京ヴェルディ、ガイナーレ鳥取、FC岐阜で活躍し、現役通算700試合以上の出場を果たす。13年に現役引退。
2020年10月-2021年12月ジュビロ磐田コーチ、2022年-2023年福島ユナイデットの監督を務め、2024シーズンはFC今治の監督に就任。
1972.8.29 / 東京都
林 健太郎
Kentaro Hayashi
桐蔭学園高校から駒澤大学経て、1995年にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に加入。制度の高いキックを武器に守備的MFとして、また高さを生かしてセンターバックとしてプレーし、1年目から公式戦46試合に出場するなどか活躍しました。その後はヴィッセル神戸、ヴァンフォーレ甲府で主力選手として活躍。2009シーズンで引退。Jリーグ通算369試合23得点。引退後は東京大学運動会ア式蹴球部コーチ、ヴィッセル神戸コーチを経て、2024シーズンよりガイナーレ鳥取の監督に就任。
1974.7.15 / 静岡県
平野 孝
清水商業高校→93年名古屋グランパスエイトに入団。ベンゲル監督の下で、ストイコビッチや望月重良らと共に名古屋の黄金期を築いた。以後5つのJ1クラブを経て、08年にはカナダのバンクーバー・ホワイトキャップスに移籍。10年にはメジャーリーグサッカーへの昇格に導き、17年に現役引退。Jリーグ通算352試合出場。98年フランスW杯日本代表。
ヴィッセル神戸のスカウトやコーチを歴任し、2024シーズンよりSC相模原のスポーツダイレクターに就任。
Takashi Hirano
1974.10.7 / 静岡県
鈴木 秀人
Hideto Suzuki
浜松商業高校→94年ジュビロ磐田に入団。現役時代は、速さと強さを兼ね備えた逸材として、96年アトランタオリンピック(U-23)日本代表、02年Jリーグアウォーズ・ベストイレブンに選出。ジュビロの黄金期を支えたDFで、ジュビロ一筋16年ののち、2009年シーズンで引退。引退後はジュビロ磐田のジュニアユース、ユースのコーチ、トップチームの監督を経る。
2023年-アスルクラロ沼津のコーチを務める。
1975.8.8 / 静岡県
田中 誠
Makoto Tanaka
94年ジュビロ磐田に入団。1年目からリーグ戦に出場し、DFのスペシャリスト。96年アトランタオリンピック(U-23)、04年アジアカップ、05年FIFAコンフェデレーションズカップの日本代表。98年および02年Jリーグアウォーズ・ベストイレブンに選出。11年に現役引退。ジュビロ磐田U-18監督歴任後、トップチームのコーチに就任。スカウトや常葉大学サッカー部のコーチを歴任し、2024シーズンより栃木SCの監督に就任。
1985.9.6 / 静岡県
水野晃樹
Kouki Mizuno
清水商業高校卒業後、ジェフユナイデット市原(現ジェフユナイデット千葉)に入団。2007年にはオシム監督のもと、日本代表にも選出されアジアカップを戦う。
2008年にはスコットランドのセルティックに移籍。膝の怪我で思うようにプレーできなかったが、日本復帰後、柏レイソル、ヴァンフォーレ甲府などJリーグクラブを渡り歩き、現在はいわてグルージャ盛岡でプレー。J2昇格を目指す。
1984.5.14 / 静岡県
大井 健太郎
Kentaro Ohi
高洲南小→ACMブルックスジュニアユース→藤枝東高校出身。05年の高校総体で準優勝。03年ジュビロ磐田に入団し、湘南ベルマーレ、アルビレックス新潟を経て、ジュビロ磐田へ再入団。試合ではゲームキャプテンを務めることもあり、チームのリーダ的存在として守備を引率。Jリーグ総通算425試合に出場中。
現在は、オーストラリア イースタン・ライオンズSCに所属。
1982.3.12 / 埼玉県
佐藤 寿人
Hisato Sato
(業務提携) 2000年ジェフ市原ユースからトップチームに昇格。 その後セレッソ大阪、ベガルタ仙台、サンフレッチェ広島、名古屋グランパス、ジェフ千葉と21年間プレー。サンフレッチェ広島時代にはリーグ3度のリーグ優勝と得点王、MVPを獲得。歴代最多のJリーグ通算220得点。キャリア通算724試合278得点。さらに元日本代表としても31試合4得点。
現在は、解説者として活動する傍ら子供達にサッカーの普及・育成活動を行う。